2020年1月26日日曜日

マデサゴーラは好きです

(初出2016.6.20および11.3)

Ver.5.1でマデサゴーラの孫が登場しますね。魔幻宮殿とかもでてくるので、大魔王マデサゴーラのバックグラウンドストーリーが詳しく説明されるかもしれません。

もうかなり前ですが、広場の冒険日誌の方にマデサゴーラについて書いたことがあります。日誌の方はそろそろ消そうかと思っているのですが、せっかくですのでこちらのHPの方に転載しておきます。
以下の日誌は、当時分かっていたマデサゴーラの情報をもとに記述しています。次のバージョンでどんなマデサゴーラ像が明かされるのか、不安半分・期待半分で楽しみにしていますよ。




1.マデサゴーラは好きです(2016.6.20)
ドラクエに出てくる様々なボスの中でもマデサゴーラは結構好きです。ドラクエのみならず、今まで見たゲームのボス敵の中でも珍しいくらい好きなキャラです。
別に「今回の邪神ではFB耐性がザルだったからヒャッハ~できたよありがとう!」ということで好きになったというわけではありません。Ver.2をプレイしていた当時から良いキャラだと思っていたんですよね。

マデサゴーラの何が好きかといって、その専門家としてのひたむきな性格です。彼は大魔王ではありますが、その目的は人類を滅ぼすとかのありがちなものではありません。彼はひたすら芸術家であり、自らが理想とする世界を創造しようという創作意欲に燃えていました。おそらく人間の世界がどうのとか魔族の繁栄がどうのとか、そんな小さなものはマデサゴーラの眼中には無かったでしょう。

もちろん彼は大魔王ですから、自分の理想の実現のためには手段は選びません。アンルシアの力を奪おうと魔勇者をつくったり、安らかに埋葬されていたトーマ王子を蘇らせて自らの手先として使ったりなど、見方によっては残酷とも言える手段も使っています。
しかしながらマデサゴーラの行動はここでも守備一貫しています。彼の動機はひたすら緋石の破壊と奈落の門突破であり、そのために必要だという単純な理由で魔勇者やトーマを利用していました。
ゼルドラドの方には明らかにありましたが、大魔王の方には「勇者をもっと苦しめてやれウヒヒ」的な底意地の悪さはほとんど感じられません。緋石破壊にもっと楽な方法があったなら、マデサゴーラはトーマなんかほっといてそちらを使ったでしょうね。
(まあ兄と妹が戦うという光景に倒錯した美意識を感じはしたかもしれませんが。)

私はあまり芸術に詳しくありませんが、そもそも芸術家というものは俗人離れしているものですよね。ですから、マデサゴーラは悪人ではなく、単に自らの美を追求しようとしただけだった、という見方もできなくもありません。
少し想像してみてください。例えば岡本太郎とかダリとかが創生の力を手に入れたとしたら、マデサゴーラよりもっと大変なことになったのではないでしょうか(;´∀`)。

岡本太郎画伯(岡本太郎美術館) かなりヤバい芸術家
サルバドール・ダリ(Wikipedia) めっちゃヤバい芸術家

もちろんマデサゴーラは多くの人々を苦しめたわけですが、それを楽しんでやっていたわけでもなさそうです。実際、彼の行いには優しさが感じられるものも多いですよね。

  • 死んだ子ども達を偽セレドに住まわせたり・・・
  • 偽メルサンディにちゃんとザンクローネを配置したり・・・
  • 魔塔を登らなくていいように撤去したり・・・
  • ピラミッドからダークネビュラスを取り去ってブローチが出るようにしたり・・・


おそらくVer.2までで起きる問題の大半は、マデサゴーラの責任と言うよりはむしろアホな部下達の暴走によるものでしょう。ゼルドラドとかヒョッヒョマンとかが「大魔王様はこうすればお気に召すはず!」みたいに勘違いして悪のりしたことが多くの悲劇を生み出しました。
もちろん、部下のチンピラが行った行為について使用者責任を問われる案件ではあるでしょうが、多分マデサゴーラは部下が何をしようが気にもしてなかったんじゃないでしょうかね。

これほど度量も広く、自らの理想を追い求め、しかも優しさもある大魔王なんて珍しいですよね。だから自分はマデサゴーラが好きです。マデサおじさんなら部下になってもいいかな。

・・・いや、気まぐれで変な生きものに改造されたりしそうだから、やっぱり芸術家の部下になるのはイヤです(;´∀`)



2.好き好きマデサゴーラ(2016.11.3)
以前マデサゴーラが好きですと書いたことがあります。

マデサ先生のどこが好きといって、その芸術に対する真摯な態度と生来の優しさです。先生は確かに大魔王ではありますが、その目的は人類を滅ぼすとか魔族の勝利とかではなく、自らの理想とする世界の創造でした。また、死んだ子供達を哀れんで偽セレドに住まわせたりとか、行動の端々に優しさが垣間見えます。ですから自分はマデサゴーラが好きでした。

マデサ先生は自分の芸術に真摯でした。その証拠が彼との戦闘のときに分かります。
通常、ドラクエの世界で使われる魔法などは自らを有利にしたり敵を不利にしたりするものです。例えばデドスで頭上から落ちてくる氷塊はどう見ても前衛にも当たっていますが、敵だけにダメージを与えます。このようにドラクエは「自分だけ有利にし、敵だけ不利にする」というご都合主義から成り立っています。
しかしそんなドラクエにもご都合主義ではないものがただ一つありました。それがマデサゴーラが作り出す「世界」ですね。「不浄なる世界」は人間だけ状態異常になりやすくなるわけではありません。「加速する世界」は大魔王だけ加速する世界ではありません。マデサ先生が世界を創るときに「自分だけ有利な状況にしてやろう」とか全然考えていなかったことが分かります。
彼が作ろうとしたのは自らの理想とする「世界」でした。自分が有利になるとかどうでもよくて、先生はただただ自分の芸術だけを見つめていたわけです。何というひたむきさ、真面目さ。

さらに先生は優しいです。もう時間が経っていますのでネタバレでも無いと思って書きますが、図書館クエの最後でリィンとラウルは哀しい別れ方をしますね。結局ラウルはジャイラ遺跡で孤独に死んでいきます。
ところが偽ジャイラの遺跡の方に行ってみると、全く異なる結末が残されていました。偽の世界ではリィンとラウルが遺跡から生還し、その後もトレジャーハンターとして二人一緒に冒険の人生を送ったということが分かります。
マデサ先生は「こっちの話の方が良い!」と思ったんでしょうね。また一つ先生の優しさの証拠が増えました。
本来仲間であるはずの呪術師マリーンの存在も全否定。やはりマデサゴーラが魔族の勝利云々とか気にもしていなかったこともよく分かります。

しかし、この偽レンダーシアでの心温まるエピソードに関しては「ただ作り物の世界に書き付けを置いただけだ。別にハッピーエンドでも何でも無い」という主張もあります。
果たしてそうでしょうか。私はそうは思わないんですよね。

キリスト教原理主義の一種に「創造論」という思想があります。聖書に書いてあることは何でも正しいと考えて、地球は神様が6千年前に作ったんだと主張する思想ですね。アメリカとかでは結構な勢力があって、学校で進化論を教えてはいけないなどの運動をしていたりします。
(もちろん単なる妄想で、そもそも数百万年前の化石の存在を説明できない時点で理論としては破綻しています。)

この創造論の主張の一つに「オムファロス仮説」というものがあります。これは、「世界は6千年前に神によってつくられた。ただしその時、地層とか化石とかもすべてその状態のまま一緒に作られたんだ」という説です。つまり「神は世界をつくると同時に、過去も作った」ということですね。
(この仮説は、論理的矛盾が一つもない創造論最強の主張だったと思うのですが、当の創造論者たち自身から猛烈に否定されて消えていきましたw)

このオムファロス仮説を援用するならば、マデサゴーラは偽レンダーシアをつくるとき、その過去も一緒に作ったと考えることもできます。むしろ、あれだけ完璧主義のマデサ先生ですからそう考えてもおかしくありません。そうであるならば、リィンとラウルについても、ただノートを作るだけではなく、過去の人生も作ったはずですね。

偽ピラミッドの主、アラハ・カーメンは、最初の頃プレイヤーをかつて戦ったトレジャーハンターのシンドラと間違えています。この会話を聞いて皆さんはどう思いますか。「プ。何言ってんの。作り話じゃんw」って思いますか? そうは思いませんよね。アラハ・カーメンの記憶の中には、確かに好敵手シンドラとの死闘の思い出があるのでしょう。つまり偽レンダーシアにもちゃんと「過去」があるわけです。
ですからリィンとラウルの幸せな人生も偽レンダーシアの過去に確かに存在していたといえるのではないでしょうか。

ちなみに真アラハギの本を読むとシンドラは男性と書いてありますが・・・「シンドラー」は男性の名前ですが「シンドラ」は女性の名前なんですよね。
太陽神の円月刀を振り回す最強のトレジャーハンターシンドラは、偽アラハギでのリィンの別名だったんじゃ・・・とか、想像するだけでも楽しくなってきませんか( ´∀`)




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